お陰様で…

サウジアラビアの女性で

学校の教師をされている女性と

Skypeをしていて

宗教について考えさせられました。

 

日本人というのは

もちろんしっかりと信仰されておられる方も

いらっしゃいますが

 

例えば私は

お宮参りや七五三、新年のお参りは神社で。

 

結婚式は教会で。

 

実家はお寺にお墓がありますから仏式という

ミックス宗教ですね。

 

そもそも私に関しましては

宗教、信仰というより

儀式を行う場所という認識の方が

強いかもしれませんね。

 

ロバート・デニーロが監督をした

「グッドシェパード」(2006年)という

映画の1シーンで

とても好きな台詞がありまして

 

CIAの重鎮が

「CIAに何故Theをつけないのか…と、

聞いてきた奴がいたんだけどね。」

そして

「神(God)にTheをつけるかい?と

言ってやったんだよ。」

 

わかるぅぅぅ。

 

だって「私が神」だもんねぇ〜と

大きく頷いた事があり

なまじっか、

本当にそう思っている節があり

私というヤツは、根っからの

バチ当たりのアホでございますな。

 

スタッフにも

「私の等身大の石像を家に置きなさいよ。

ご利益があるから。

100万円でいいわよ…。

ローンでもいいし。」と

強要しておりますから

パワハラもひどいという有様。

 

そんなバチあたりな私ですが

 

父が亡くなった時には

精神的に相当参ってしまい

何かにすがりたい…と、思い

 

「信仰、するか…」と

“ネット検索”した事がございますね。

(↑オバさんなんだけど、そーゆートコが

現代っ子風?)

 

一応、三大宗教からググり

色々と読んでみましたけれども

なかなか…これが

ネット検索して見つかるモノではございませんな。

 

そもそも

「信仰をググって決める」という行為そのものが

失礼極まりないわけでして。

 

では、何も信じないのか…と、聞かれると

強いて言えば…

祖母の生活の仕方が

歳を重ねると共にしっくりくる様な気がします。

 

祖母は

毎朝、釜で炊いた炊きたてのご飯を

仏壇と神棚と屋敷神にお供えして

「今日も1日よろしくお願いします」と、

それぞれ手を合わせ

 

お天気が晴れれば

「お陰様で天気が良くて…」と、言い

 

雨が降れば

「お陰様で涼しくなって…」と、言い

 

誰に向かって

「お陰様なのか?」と、聞いたら

「神様だよ」と、言われ

 

台所には台所の神様がいるから

キレイにしないといけない…とか

 

トイレにはトイレの神様がいるから

キレイにしなきゃいけない…とか

 

食べ物にも神様がいるから

残したら申し訳ない…とか

 

あちこちに神様がいるんですね。

 

用事があるからと

祖母を車でどこかに送って行く時にも

助手席に座って外の風景を眺め

「緑が綺麗だねぇ…。

有り難いねぇ…。お陰様だねぇ…。」と、言い

 

送ってあげているのは

私なんですけどね…、

私が有り難いと思うんだけど…なんて

考えたりいたしましたね。

 

何にでも神が宿り感謝をするというのは

アニミズム

近い考え方だったのでしょうかね。

 

そういったお考えの方が

多かった気がします。

 

ご近所さんとの挨拶も

 

「今日もお陰様でいい塩梅だいねぇ。

(今日もいい天気ですね。)」

 

「そうだいねぇ…。(そうですね。)」

というやり取りが

あった時代もありましたね。

 

小さい頃からその様に言われて育つと

 

例えば食事をして、少し残したりすると

とても罪悪感を感じるので

必ず、残さず食べるわけで。

 

関越自動車道の高崎インターを降りて

左手に赤城山を眺めると

最近は、

キレイだなぁ…こんな景色、有り難いな…なんて

思ったりする様になりますね。

 

矯正のゆうこ先生は

毎月うちに泊まる時に

ベッドをセットしながら

「北はどっちだっけ?」と、

北枕を避けるトコロなんかも

とても共感できますね。

 

「お陰様で」というのは

英語の辞書をひくと

thanks to 〜とありますが

ちょいとニュアンスが違う気がいたします。

 

これを訳すのはとても難しいですね。

 

聖書やコーランはないわけですけれども

信仰とは少し違うのかもしれませんが

そういった概念は

日本人独特の文化なのかも

しれませんね。