やりがい婚

できちゃった婚とか

何とか婚って言葉がありますが

「やりがい婚」という言葉を聞いたのは

今回が初めて。

 

毎週水曜日に録画している

「英雄たちの選択」で知りました。

 

今回は大山巌の妻

大山捨松という女性の話。

 

捨松…名前がいい。

 

会津藩の家老の娘で

明治時代、

日本で初めて公費でアメリカ留学した女性だそうで

後に

大山巌の妻になり

鹿鳴館の華と呼ばれ

日本で初のチャリティを開催し

約一億円相当の金額を集め

それで日本初の看護学校を作った女性らしい。

 

また津田塾の津田梅子の

影の支えになり

学校設立に尽力を尽くしたとも。

 

当初、彼女は生涯独身で生きる事を望み

女性の為の学校設立が夢だったわけですが

 

今でこそ

女性1人で企業されておられる方は

大勢おられますが

当時はそれは不可能。

 

そこで当時、政治の中枢にいた

大山巌のプロポーズを受けて結婚し

(彼の人柄も素晴らしかったらしい)

彼を妻として支えつつ

彼の力を借りて

自分の夢を叶えるわけですねぇ。

 

これが「やりがい婚」だとか。

 

シャネルの創立者である

ココ・シャネルも

最初に持った帽子のお店の資金は

愛人に出してもらったわけですね。

 

当時、銀行が女性に融資するわけがない。

 

男性の力添えがないと

女性の独立は困難な時代だったんですね。

 

余談ですが

シャネルの凄いのは

出資してもらった金額を

全てお相手に返済したらしい。

 

なので

愛人関係を解消しても

生涯の良き友人であったらしいですな。

 

ふと考えてみると

私は勤務医をしていた頃

開業するつもりはなかったんですな。

 

ところが夫が

「お前は絶対に開業医にむいているから

開業した方がいい!」と言い

 

現在の土地を探してくれて

土地の値段を約半分まで下げて

交渉してくれたのも彼。

 

開業準備も手探り状態でございましたが

夫が陣頭指揮を取ってくれたのも事実。

 

私は今でこそ

愚妻女王でございますし

ちょいとそこらの事では驚かないという

図々しいオバさんでございますが

 

当時はねぇ

まだ1人では何も出来ない

弱い女だったのでございますよ。

(いや、マジで!

冷笑すなっ!!)

 

最近では

1人で事業をしているという気になって

夫に対しても

「仕事には口を出さないで」という

スタンスを取っておりますが

 

考えてみると

彼の尽力なくして

現在はなかったなぁと

思ったり致しました次第でございます。